2010年1月19日火曜日

大学の情報非公開ランキング


http://www.amazon.co.jp/review/R3K8482OGCDKSA

特に注意を引いたのは、
情報非公開Rankingである。

福岡医療福祉大学
第一工業大学
第一薬科大学
近畿医療福祉大学
一大同族系グループみたいですね。
すごい大学・専門学校の数。でも不祥事もすごいね。
国からも補助もらってない(もらえてない?)みたいだし。
各大学の名前自体をコロコロ変えてるみたいだし。俺は嫌だな。母校の名前がすぐ変わるの。
でもやっぱり教育業界をビジネスと捉えてる感覚はすごいね。
そこに入る人がいるのだからニーズがあるんだろう。
ニーズを作るのがうまいっと言ったほうが妥当か。
因みに、福岡経済大学を2010年4月から日本経済大学に校名変更するみたい。
2007年4月に第一工業大学から福岡経済大学に変更したばっかりなのに。。。
今3年生は学校名が3つ目!!笑
↑渋谷にキャンパス作るみたい。だから福岡から日本経済大学だって。
ここググればググるほどめちゃめちゃ学園だな。。。
他にも、日本薬科大学、横浜薬科大学などなどある
別に補助金ももらってないし、情報公開する義務もないしってことか

平成音楽大学
ここは立地の問題だね。熊本の山里では

福岡国際大学
立地的にも悪くないのになんで?
短大からだから特色ないのか?

上野学園大学
なんで???音楽だから???

平成19年度より全学で実施される「男女共学制」もその一環ですが、このようなプロセスの中、平成19年度より、大学音楽・文化学部国際文化学科の学生募集停止も決定いたしました。国際文化学科は、短大人文学科を前身に、真に国際的に活躍できる人材の育成を目的に、ユニークな教育カリキュラムで、開学した1995年より、各方面の方々よりご注目、ご支援をいただいてまいりました。卒業生も多分野で活躍しております。 しかしながら、時代の流れから近年は学生数も低下状況にあり、社会において、そのニーズはひとまず無くなったと判断し、今回の学生募集停止に踏み切りました。

だって!音楽以外もあったんだ!

在学中の辻井伸行君が広告塔で結構使えると思うのだが。。

愛国学園大学

可もなく不可もなくなんだろうと想像

こここそ校名変更をしたほうが。。。右のにおいが。。

青森大学
青森山田の系列なのですね。
グループとかではないですが、青森中央学院大学というのが近くにあったのが笑
立地なのでしょうか。でも近隣の大学と条件は同じでしょうに。

ノースアジア大学
学校名がまず。。逆にインパクト勝負出来てます。狙いかもね。
でも逆効果!!笑

環太平洋大学
「設置計画履行状況報告書」すらリンク出来ませんで公開せず
ここも名前が。。

あたりが上位に名を連ねている。
情報公開が大きな流れになっている時代に、社会に対して背を向けている大学を浮き彫りにする格好になっている。なかなか怖い企画である。入学を決める前に一読しておいて損はないと思われる。どの組織でも公開できない情報というのはあるが、推薦入学者数とか就職先が”それは秘密です”では通らないのである。

特に、定員は公開しているが在籍者数が非公開などというのは要注意である。かなり派手に定員割れを起こしている可能性が高い。こういう大学には無事合格しても、卒業までその大学が存在する保証はない。

日産デ→UDトラックス

日産ディーゼル、「UDトラックス」に社名変更
http://markets.nikkei.co.jp/kokunai/tegakari.aspx?site=MARKET&genre=c3&id=ATDD180CV%2018012010

 日産ディーゼル工業は2月1日付で社名を「UDトラックス」に変更する。社名変更は日産自動車の資本参加を受けた後の1960年以来、50年ぶり。ブランド名もUDトラックスに統一。社名、ブランドから「日産」を外す。トラック需要は日本など先進諸国で低迷。新興国中心に海外での拡販に向け独自ブランドを確立したい考えだ。

 日産ディーゼルは35年に日本デイゼル工業として設立。日産自が53年に資本参加し、60年に日産ディーゼル工業に社名変更した。日産自はリストラの一環として、2006年にスウェーデンのボルボに保有株を全株売却し、07年にボルボが完全子会社化した。ただ、社名とブランド名は国内で知名度が高い日産ディーゼルを採用していた。

2010年1月18日月曜日

「60歳以上と20歳代の政府補助差額6635万円」

2009年1月18日日経新聞「核心」
日航は「あすの日本か」より

改革に踏み切れない大きな原因に、中高年層の反発がある点でも、日航と日本は相違形である。
日航では長年、中年社員が主導権を握る労働組合が業務効率化に非協力的で、退職者は高い年金の減額にぎりぎりまで抵抗した。

日本全体でも中高年が様々な分野で強すぎる存在感を示す。特に1947年~49年生まれの団塊の世代、670万人である。高度成長期に育ち、20歳代で73年の福祉元年を迎えた。社会保障の充実や公共事業の増額などで、地方にいても豊かになれた。

中高年は人口が多い上に選挙の投票率も高いので、政治的に大きな力を持つ。だから社会保障などの面で恵まれている。

60歳以上の人は生涯を通じ、税金や社会保険料で政府に払う額より、社会保障など受け取る分が4875万円多い。20歳代は反対に支払いが受取よりも1660万円多い。(2005年度版の経済財政白書より)

実に不公平。年金給付の減額などの改革が遅れると後世代の負担がさらに増えて、成長を抑制しかねない。が政治家は中高年の反乱を恐れ改革には慎重だ。

NewNormalとルソーの言葉、メメント・モリ

米国の経済関係者の間で、ニューノーマル(new normal)という新概念が流行している。「リーマンショックから立ち直った後の国際経済は、以前の経済とは別物になっている」という指摘を指す。このことは、アングロサクソンモデルの資本主義(後述)が終焉したことを意味するとも言われる。だがこの新しい秩序が、国際経済にとって真に目指すべき方向性であるかどうかは分からない。

 ニューノーマルという表現は実に巧みだ。この一言に「新しい秩序である」ことと、それが「常態化する」ことのふたつの意味が込められている。もしリーマンショックを発端にする景気後退から抜け出せたら、世界経済は一体どのような姿になっているのだろう。その問いに対する答えのひとつが「元通りにはならない」という見解、すなわちニューノーマル(新常態)ということになる。

 この言葉は、米国の債券運用会社ピムコ(PIMCO)の最高経営責任者であるモハメド・エラリアン(Mohamed El-Erian)氏が提唱したことから、米国の経済関係者の間に広まった。造語のきっかけは、同社が今年開催した経済予測会議である。投資戦略を策定する目的で向こう数年間の経済予測を行ったところ、このような見解を見いだしたのだという。

 今年後半は、経済界の要人からもこの言葉が聞かれるようになった。例えば日本では三菱UFJフィナンシャル・グループの畔柳信雄(くろやなぎ・のぶお)社長が、金融危機から脱した後の世界経済の展望について、インタビューで次のように発言している。「新しい秩序は危機時の『異常』と対比し、『ニューノーマル(新しい正常)』と呼ばれている。(中略)米国は金融、レバレッジ、民主導が浸透しており、ニューノーマルへの適合は急にはできない」(日本経済新聞2009年9月21日)
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JJルソー社会契約論の中で
「人民は自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことであって、議員が選ばれるや否や、人民は彼らの奴隷となり、無に帰してしまうのである。その選挙という自由な短期間の間に、彼らが自由をどのように行使しているかをみれば、彼らが自由を失うのも当然であるといえる。」
議会政治が抱える危うさを指摘
小沢氏に集中する権力と逮捕者を出してもなお、小沢氏への批判や政治責任を問う声に乏しい民主党内。桐蔭が口をつぐんだままでは、ルソーの懸念は現実のものとなる。
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メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳されることが普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。

2010年1月16日土曜日

カルフール撤退とオバマが負けたLOST

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100115ATFK1501I15012010.html
「カルフール」店舗名、国内から消える イオン、3月に契約満了
 イオンは15日、子会社のイオンマルシェ(千葉市)が運営する大型スーパー「カルフール」について、小売大手の仏カルフールと結んだ店舗名称などの使用ライセンス契約が3月9日に終わると発表した。

 幕張店(千葉市)や東大阪店(大阪府東大阪市)など営業中の6店は店舗名を変更する。新しい店舗名は未定。カルフールのプライベートブランド商品の販売も終える。

 カルフールは2000年に日本に進出したが、品ぞろえなどが日本の消費者に受け入れられず、05年に日本法人をイオンに売却して撤退した。イオンは会社名を「イオンマルシェ」と改めたが、店名はカルフールのまま営業してきた。

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カルフールはイオンが運営してたの忘れてました。
しかし海外のメジャー小売りは日本だとうまくいってないみたい。
第1位 ウォルマート(米アーカンソー州)
・EDLP(EveryDayLowPrice)、物流効率、IT化で成功
・現在、世界10カ国に進出し
・日本では、西友を子会社化して展開している。
・韓国、ドイツからは撤退
・ダイエーが産業再生機構入りしたのをきっかけに、支援企業として名乗りを上げていたが、落選した。
・創業者サム・ウォルトンの親族ウォルトン一族は超金持ち

第2位 カルフール(フランス)
・サルコジ大統領のチベット擁護発言により中国人不買運動

第3位 テスコ(イギリス)
・日本ではつるかめランド。首都圏中心

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一般教書演説(いっぱんきょうしょえんぜつ、State of the Union Address)とは、米国で大統領が、アメリカ合衆国議会両院の議員を対象に行う演説で、国の現状 (State of the Union) についての大統領の見解を述べ、主要な政治課題を説明するもの。

オバマ大統領が延期するとのうわさが。
その日に大人気テレビドラマがやるからだって。。。

「LOST」最終シーズン

そんなに面白いのかな?
ってそんなことで延期していいのか?

2010年1月14日木曜日

世界三大宗教 仏教編

「世界三大宗教」重要ポイント83 三笠書房 
を読んで興味深い部分を列挙する

■仏教
P117<仏教の柱となる教え>
「この世にあるすべて事物は永遠に存在するものでなく、常に変化している。すべての事物は必ず何かの縁によって生まれるため、単独で存在しているものは一つもない。また、必ず他との関係性を持っているので、自分(のもの)という存在もない。ところが、人は自分が永遠に存在すると思い込み、すべてを自分のものにしよう、自分の思い通りにしようとする。だから、この世のすべてを苦しみに感じるのである。」
こういった万物の心理を知らないから、あるいは素直に受け入れようとしないから、人はなんでも思い通りにしたいという煩悩にとらわれて、自ら苦しみをつくり出してしまうのである。つまり万物の心理を知り、自分の煩悩を断つことができれば、全ての苦しみはなくなり、これまでとは違う究極の静かな安らぎの境地を得られるはずだ。

この真理は仏教の教えの基本となり、中国へ伝わると漢語にまとめられ、日本へ伝来し、今も大切な教えとされている。

①諸行無常
すべてのものは、必ず変化し、常に同じものとして止まらない
②諸法無我
すべての存在は、必ず他との関係性によって生まれている
③一切行苦(いっさいぎょうく)
この世のすべてのことは、自分の思い通りにならない
④涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
仏の智慧を学び実践し、到達する悟りの世界は、心静まった安らぎの境地

輪廻転生は、もともと仏教の思想ではなく、古代インドに存在した思想である。釈迦が説いたのは輪廻の世界すべてを「迷いの世界」と明確に位置付け、「ほんとうの幸せはその世界を解脱したところにある」と説いたことである。
わかりやすくいうと、そうした輪廻の世界にいては、本当の幸せは得られない。輪廻とは、人間は自分の善悪の行いによって死後に生まれ変わる世界が変わること、そうした生死を永遠に繰り返すことである。たとえ天道(神々の世界)に生まれても苦しみは存在し、必ず死は訪れる。しかも天道でも悪いことをすれば、死後に別の世界へ生まれ変わってしまう。つまり、輪廻の世界にいる限りは、苦しみは永遠になくならないというわけだ。
釈迦はそのことに気付き、そうした輪廻の世界から抜け出すことこそが、わたしたち人間がほんとうに苦しみから解放されることだと悟り、それを「解脱」と呼んだ。釈迦はそのための方法を「法(ダルマ)」としてまとめ、それを教えとして説いたのだ。

P214 <仏教の経典>
同じ教えでもきく人の能力に応じて様々な「方便」(仏が衆生救済のために使う手段で、例えや仮の話を用いること)があり、大乗仏教の経典には方便として実に多くの菩薩が登場する。ブッダは三世(さんぜ)(過去・現在・未来)十方(じっぽう)にそれぞれに存在すると考えられるようになり、中でも阿弥陀仏や薬師仏などが熱烈な信仰を受けるようになる。さらに、慈悲ゆえに自らはあえてりんねから解脱しないで衆生を救済し続ける存在として、観世音菩薩(かんぜんのんぼさつ)、文殊菩薩、弥勒菩薩(みろくぼさつ)など数々の菩薩が生まれたという教えが説かれた。

釈迦の説いた仏教はシンプルに言うと仏教の教えを学び、それを基にして自分の心や行動と対峙し、日常生活で実践して自らの苦しみを解放するというものだった。つまり人間も努力することでブッダになれるという考え方だ。

一方日本に伝わった大乗仏教の基本は、釈迦を人としてみるのではなく、「如来」「菩薩」という言葉を用いて超人的あるいは神格的存在とし、その大いなる慈悲の心や大衆を救済する力を崇拝して、自らはその偉大な力によって助けてもらうことを願いとする考え方である。

P216<法華経>
日本へ最も影響を与えた経典が「法華経(正式には妙法蓮華経)」である。法華経とは、簡単に言うと「すべての法はすべての大乗の教えであり、久遠実成(くおんじつじょう)(仏<ブッダ>とは永遠の生命そのもの)である」という教えを説いた経典である。中国では「経典中の王」と呼ばれる。
日本で初めて法華経の教えに影響されたのは聖徳太子だが、今日の日本仏教の基礎としたのは最澄である。
そのきっかけは、中国天台宗の開祖とされる智顗(ちぎ)。中国に伝来した仏教の教えは、実は時系列通りに伝わったわけではなく、様々な時代の経典がばらばらに伝播された。その複雑な状況を解決するために智顗は、経典の格付けを初めて行ったのである。
これを学んだのが最澄で、天台宗(正式には天台法華宗、806年)を開き、比叡山に延暦寺を建立した。

P218<南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏の大きな違い>
法華経が日本の仏教で最高経典と位置付けられた理由は、その経典名にも由来があるといわれている。蓮華とは蓮の花の花のことで、仏教では仏陀を象徴する花とされている。というのも泥水の中から美しい花を咲かせる蓮の花は、数多くの煩悩を持つ人間の中にあっても悟りを開いたブッダと同じイメージ感じさせるからだ。この経典には、釈迦の偉大なイメージが豊かに説かれていることから、頭には漢語で「素晴らしい教え」という意味の”妙法”がつけられ、「妙法蓮華経」という題目の最高経典とされたのである。

妙法蓮華経の教えの中には「久遠実成」と呼ばれる説があり、歴史上初めて仏教の悟りを開いたとされる釈迦は仮の姿で、ほんとうは遠い昔にすでに悟りを開いて成仏し、それ以来仏として人々に教化を続けているのが、真実の釈迦の姿とするものである。このように、法華経が仏教の開祖である釈迦の存在を完全に超人化させた教えを説くことで、他の経典にどんな仏や菩薩が出てきても釈迦と関連付けることが可能となり、また「方便である」という一言で、すべて納得して理解することができるからである。
これにより天台宗は法華経を中心に仏教の教えが学べる修行道場として発展した。

しかし、平安時代後期から鎌倉時代になると、武士が勢力を強めて社会情勢や治安の不安が増大、その影響から世間には末法思想や厭世思想が急速に広がり、既存の天台宗の教えや密教の教え以上に、より大衆を救済できる仏教の教えが求められるようになった。

その社会の要求に応じたのが、比叡山で修業した法然や親鸞である。彼らは天台宗にある膨大なお経の中から、阿弥陀仏という釈迦以外のブッダの存在と、その素晴らしい特徴に注目した。それは、阿弥陀仏がすべての人を救済するブッダであること。阿弥陀仏を信じて「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰依します)」と念じた人には、阿弥陀仏自身がその願いに応えて、自らの悟りの世界である極楽浄土へ生まれ変わらせるということだった。
この阿弥陀信仰はもともとインドで生まれ、中国で浄土教として成立しその教えが日本に伝播されたものである。阿弥陀仏の浄土に往生するための経文には、極楽の荘厳さと地獄の様相が説かれていた。そして往生するためには、具体的に極楽浄土や阿弥陀仏をイメージする観想念仏を実践することが大切だと教えている。
ところが、この時代の大衆は文字の読み書きができない人が多く、仏教に対する教養がなかったことから極楽浄土や阿弥陀仏のイメージがなかなかできなかった。そこで、後に天台僧になる空也(くうや)が「南無阿弥陀仏」と口で唱えるだけでいいというスタイル(口称念仏)を提案し、踊りながら念仏を唱えて初めて大衆を教化した。
法然は、空也の念仏信仰をただ一心に唱えるというスタイルで引き継ぎ、「阿弥陀仏はすべての人を救うのが本願なので、ただ一心に念仏を唱えるだけでいい」という教えを説き、浄土宗を開いて大衆念仏信仰へと導いたのである。
また、法然の弟子親鸞によって更に大衆化が進められる。彼は「念仏を唱えるから極楽浄土へ成仏できるのではなく、私たちはすでに阿弥陀仏の力によって極楽へ行くことは決まっている。その感謝のために念仏は唱えるもの」という教えを説き、すべての人がすでに阿弥陀仏の慈悲によって救われているという独自の念仏思想を確立。その教えを受け継ぐ浄土真宗は、現在でも日本一の信者数を誇っている。

一方、この念仏に似て非なるものが、「南無妙法蓮華経」である。日本ではさまざまな宗派がそれぞれの仏教の教えを説いているが、一向に平和にならない。真の仏教は、やはり最高の経典の法華経にある。今こそ法華経を中心とした教えを説かなければ、日本に平和は訪れない。こう考えた日蓮は、既存の日本仏教の教えはすべて間違っていると確信し、法華経の教えだけが人々を救えると主張した。そして、法然と同様に文字の読み書きができない大衆を教化するため、「南無法蓮華経という題目を唱えるだけで、人は救われる」という極端な教えを説いたのである。日蓮が提唱したこの教えは、日本独自の新たな仏教思想であったため、日蓮宗と名付けられた。

「南無法蓮華経」「南無阿弥陀仏」の二つの信仰の世界観は大きく異なり、相容れない教えである。

P237日本人が仏教を自分の宗教だと思わない理由
今日でも日本人の多くは、葬儀や供養を仏式で行い、仏に手を合わせる。ところが「儀式としてやっているだけで、仏教とではない」とする人が少なくない。こうした現象は世界広しといえども日本人だけのようだが、そのきっかけは江戸時代の「寺請(てらうけ)制度」にあるといわれている。江戸時代にキリシタンを禁圧一掃するために行われた宗教政策で、檀家制度(一家が必ず地域に存在する一定の寺院の檀家となって自らの家の祖先供養をしてもらうとともに、布施をして寺院の財政を助ける制度)とともに全国的に制度化された。このとき、仏教は事実上国教化し、すべての日本人は強制的に仏教徒とされたのである。寺院は今でいう役所の戸籍課のような体制的役割だったわけである。そのためこの時代以降の日本人には「宗教を信仰する」という意識が芽生える前から「信仰にかかわること、死に関わることはお寺へ…」という認識が寺院に対して根深く植え付けられ、それが200年以上も慣習として続いた。これが「仏教の信者」の意識がなくても仏に手を合わせ拝み、死後の儀式を寺院で行うという、日本独自の不思議な信仰形式をつくりだしたのである。

世界三大宗教 イスラーム編

「世界三大宗教」重要ポイント83 三笠書房 
を読んで興味深い部分を列挙する
■イスラーム
P109<イスラム教の柱となる教え>
イスラム教の信仰は、仏教やキリスト教よりもわかりやすいといわれる。というもの、何をどのように信じればいいかが、「六信」として明確に分類されているからだ。
①アッラー(神)
②マラク(天使)
③キターブ(コーランを中心とした啓典、聖典)
④ナビー(預言者)
預言者はムハンマドだけではない。アダム、ノア、アブラハム、イエスも入る。ムハンマド以降預言者は現れないと信じる。
⑤アーヒラ(来世)
輪廻転生ではなく、「最後の審判」後の世界を信じる。現世での行動が優れていて善行をつんだとアッラーに認められた人は緑園(イスラム教の天国)へ行く。逆に悪行を重ねアッラーにその罪を赦されなかった人、あるいは不信心と断定された人は煉獄か地獄へ行く。来世に行くのは霊魂でなく、生身の人間。←これがイスラム原理主義者のテロリストが自爆を行うのは、ジハードで殉職したものは緑園に行けると信じているから
⑥カダル(天命)
この世に起こるすべてのことはアッラーの意思によるものでその例外はない

P202コーラン(クルーアン)の教え
アッラーの最大の特徴は、コーランに次のように記されている。
「これぞアッラー、唯一なる神、永劫不滅の神。生まず、生まれず、一人として並ぶ者はいない」
これは最も根源的な教義を表したもので、この言葉がイスラム教のすべてを集約しているともいわれている。
唯一絶対のアッラーは全知全能で天地万物の支配者であり、時や場所に関係なく常に存在し、人間を慈悲と慈愛で見守っていることを大前提としている。 「生まず、生まれず」は和訳では「子もなく、親もなく」と表現されるが、キリスト教のイエスのような、いわゆる「神の子」がアッラーから生まれることは決してないと宣言しているのだ。なぜらなアッラーは唯一絶対の神であり、人間はアッラーによって創造された存在であるからだ。本来、創造主と創造物の関係の間には越えられない線があり、その中間的な存在などあり得ないからだ。そのような存在をキリスト教のように無理に認めると、神の子を名乗る偽善者が多く登場して人類を混乱させるからその配慮をしたともされている。*ムハンマドも神の子ではなく、あくまで預言者

P208シャーリア(イスラム法)
宗教の戒律、社会規範、国家の法律と一体となったもの イスラム教徒は戒律ではなく法律としている イスラム教国はこれが法律となる

第一の法源(法律の根源)当然コーランだが、歴史が流れると社会が複雑化していき、コーランでは対処できない事柄が出てくる。それを補うために編集されたのが第二の法源「スンナ」
スンナは基本的にムハンマドの言行に基づく規範・先例・行為などを表したもの。それを記録編集したものを「ハディース(アラビア語で伝承の意味)」。宗教儀礼、婚姻、養育、遺産相続、商取引、負債・担保などお金や財産に関すること、各種刑罰など、日常生活に関わる様々なことが網羅されている。 また、律法学者の教義した判例などその他第10の法源からシャーリアは成っている

日本だといわゆる「世間の常識」とされていることも、シャーリアには記載がある。息苦しく感じるがかえってわかりやすいかもしれない
例えばイスラム教徒が守るべき6つの義務として
・挨拶を交わす
・招待されたら招待に応じる
・求められたら助言する
・相手がくしゃみをしたら、その人のために神に救いを求めてあげる(くしゃみをすると魂が抜けるとの言い伝えから)
・病気になれば見舞う ・知人が死んだら葬式に参加する

P233イスラム教への入信
キリスト教は洗礼(バプテスマ)、仏教の出家など宗教への入信はそれなりの厳格な儀式を必要とする場合が多い。しかしイスラム教では形式的な儀式は一切行わず、すでにイスラム教徒として信仰している人を証人にして、誓いの言葉を唱えるだけで誰でもイスラム教徒になれる。(ただし成人男女)

「アッラーのほかに神なく、ムハンマドはアッラーの使徒なり」

一日5回の礼拝は、信仰心のない人には厳しく感じるが、イスラム教徒にとってはアッラーを感じられる至福の時であり、義務というより生きている間に欠かすことのできない大切なひとときである。自分の都合に合わせて神仏に祈る一般的な日本人の礼拝とは、その重さが違う。

イスラム教には僧侶や神父のような聖職者がいないので、「寺院」等とは呼ばず、礼拝堂、礼拝所、集会所と呼ぶのが適当だろう。イスラム教に聖職者がいないのは、神はアッラーだけであり、人間はすべて平等と教えているためだ。その代わりに「ウラマー」と呼ばれる宗教指導者が存在する。イスラム教の伝統的な諸学を習得した学者で、和訳するとイスラム法学者となる。宗教的特権は認められておらず、日常生活でも聖職者のような生活はしておらず、法学者、裁判官、モスクの管理などの仕事に就いている。

P245イスラム教の死後の世界「緑園」
イスラム教徒の天国は「楽園」あるいは「緑園(りょくえん)」としている。砂漠の中で水と緑を持つオアシスのイメージから名づけられたといわれ、コーランの中にも明確に写実的に描かれている。
注目すべき点は不毛の砂漠で生まれた宗教がイメージした楽園らしく、まず河川があり、涼しい木陰や多くの果物あるところを強調している。しかも水だけでなく、生娘や金銀財宝、さらにこの世で禁止されているお酒も飲んでよいという。


どうすれば楽園に行けるか。イスラム教ではキリスト教の「最後の審判」とほぼ同じことを教えている。最後の審判の日、人は再び肉体が与えられ、それまでの個人の善行や悪行すべてが審理される。預言者ムハンマドは弁護人となって援護するというが、すべては個々人の善悪の行いが基準となる。その点がキリスト教の「神のみぞ知る」というキリスト教と大きく違い、イスラム教では個人の日々の積み重ねがあくまで重視されるのだ。

キリスト教の「神の国」と違う点は、楽園での女性との関係について明言しているところである。楽園には絶世の美女ばかりいて、性格はもちろん肉体も人並み以上。しかも何回セックスしても女性は処女のままだとしている。仏教の悟りの世界とは対照的である。一切の欲望がない世界と、すべての欲望を満足させる世界。イスラム教徒たちがこの世界で禁欲的な信仰生活を毎日実践できるのも、実はこの楽園を目指しているからなのである。