2010年1月19日火曜日

大学の情報非公開ランキング


http://www.amazon.co.jp/review/R3K8482OGCDKSA

特に注意を引いたのは、
情報非公開Rankingである。

福岡医療福祉大学
第一工業大学
第一薬科大学
近畿医療福祉大学
一大同族系グループみたいですね。
すごい大学・専門学校の数。でも不祥事もすごいね。
国からも補助もらってない(もらえてない?)みたいだし。
各大学の名前自体をコロコロ変えてるみたいだし。俺は嫌だな。母校の名前がすぐ変わるの。
でもやっぱり教育業界をビジネスと捉えてる感覚はすごいね。
そこに入る人がいるのだからニーズがあるんだろう。
ニーズを作るのがうまいっと言ったほうが妥当か。
因みに、福岡経済大学を2010年4月から日本経済大学に校名変更するみたい。
2007年4月に第一工業大学から福岡経済大学に変更したばっかりなのに。。。
今3年生は学校名が3つ目!!笑
↑渋谷にキャンパス作るみたい。だから福岡から日本経済大学だって。
ここググればググるほどめちゃめちゃ学園だな。。。
他にも、日本薬科大学、横浜薬科大学などなどある
別に補助金ももらってないし、情報公開する義務もないしってことか

平成音楽大学
ここは立地の問題だね。熊本の山里では

福岡国際大学
立地的にも悪くないのになんで?
短大からだから特色ないのか?

上野学園大学
なんで???音楽だから???

平成19年度より全学で実施される「男女共学制」もその一環ですが、このようなプロセスの中、平成19年度より、大学音楽・文化学部国際文化学科の学生募集停止も決定いたしました。国際文化学科は、短大人文学科を前身に、真に国際的に活躍できる人材の育成を目的に、ユニークな教育カリキュラムで、開学した1995年より、各方面の方々よりご注目、ご支援をいただいてまいりました。卒業生も多分野で活躍しております。 しかしながら、時代の流れから近年は学生数も低下状況にあり、社会において、そのニーズはひとまず無くなったと判断し、今回の学生募集停止に踏み切りました。

だって!音楽以外もあったんだ!

在学中の辻井伸行君が広告塔で結構使えると思うのだが。。

愛国学園大学

可もなく不可もなくなんだろうと想像

こここそ校名変更をしたほうが。。。右のにおいが。。

青森大学
青森山田の系列なのですね。
グループとかではないですが、青森中央学院大学というのが近くにあったのが笑
立地なのでしょうか。でも近隣の大学と条件は同じでしょうに。

ノースアジア大学
学校名がまず。。逆にインパクト勝負出来てます。狙いかもね。
でも逆効果!!笑

環太平洋大学
「設置計画履行状況報告書」すらリンク出来ませんで公開せず
ここも名前が。。

あたりが上位に名を連ねている。
情報公開が大きな流れになっている時代に、社会に対して背を向けている大学を浮き彫りにする格好になっている。なかなか怖い企画である。入学を決める前に一読しておいて損はないと思われる。どの組織でも公開できない情報というのはあるが、推薦入学者数とか就職先が”それは秘密です”では通らないのである。

特に、定員は公開しているが在籍者数が非公開などというのは要注意である。かなり派手に定員割れを起こしている可能性が高い。こういう大学には無事合格しても、卒業までその大学が存在する保証はない。

日産デ→UDトラックス

日産ディーゼル、「UDトラックス」に社名変更
http://markets.nikkei.co.jp/kokunai/tegakari.aspx?site=MARKET&genre=c3&id=ATDD180CV%2018012010

 日産ディーゼル工業は2月1日付で社名を「UDトラックス」に変更する。社名変更は日産自動車の資本参加を受けた後の1960年以来、50年ぶり。ブランド名もUDトラックスに統一。社名、ブランドから「日産」を外す。トラック需要は日本など先進諸国で低迷。新興国中心に海外での拡販に向け独自ブランドを確立したい考えだ。

 日産ディーゼルは35年に日本デイゼル工業として設立。日産自が53年に資本参加し、60年に日産ディーゼル工業に社名変更した。日産自はリストラの一環として、2006年にスウェーデンのボルボに保有株を全株売却し、07年にボルボが完全子会社化した。ただ、社名とブランド名は国内で知名度が高い日産ディーゼルを採用していた。

2010年1月18日月曜日

「60歳以上と20歳代の政府補助差額6635万円」

2009年1月18日日経新聞「核心」
日航は「あすの日本か」より

改革に踏み切れない大きな原因に、中高年層の反発がある点でも、日航と日本は相違形である。
日航では長年、中年社員が主導権を握る労働組合が業務効率化に非協力的で、退職者は高い年金の減額にぎりぎりまで抵抗した。

日本全体でも中高年が様々な分野で強すぎる存在感を示す。特に1947年~49年生まれの団塊の世代、670万人である。高度成長期に育ち、20歳代で73年の福祉元年を迎えた。社会保障の充実や公共事業の増額などで、地方にいても豊かになれた。

中高年は人口が多い上に選挙の投票率も高いので、政治的に大きな力を持つ。だから社会保障などの面で恵まれている。

60歳以上の人は生涯を通じ、税金や社会保険料で政府に払う額より、社会保障など受け取る分が4875万円多い。20歳代は反対に支払いが受取よりも1660万円多い。(2005年度版の経済財政白書より)

実に不公平。年金給付の減額などの改革が遅れると後世代の負担がさらに増えて、成長を抑制しかねない。が政治家は中高年の反乱を恐れ改革には慎重だ。

NewNormalとルソーの言葉、メメント・モリ

米国の経済関係者の間で、ニューノーマル(new normal)という新概念が流行している。「リーマンショックから立ち直った後の国際経済は、以前の経済とは別物になっている」という指摘を指す。このことは、アングロサクソンモデルの資本主義(後述)が終焉したことを意味するとも言われる。だがこの新しい秩序が、国際経済にとって真に目指すべき方向性であるかどうかは分からない。

 ニューノーマルという表現は実に巧みだ。この一言に「新しい秩序である」ことと、それが「常態化する」ことのふたつの意味が込められている。もしリーマンショックを発端にする景気後退から抜け出せたら、世界経済は一体どのような姿になっているのだろう。その問いに対する答えのひとつが「元通りにはならない」という見解、すなわちニューノーマル(新常態)ということになる。

 この言葉は、米国の債券運用会社ピムコ(PIMCO)の最高経営責任者であるモハメド・エラリアン(Mohamed El-Erian)氏が提唱したことから、米国の経済関係者の間に広まった。造語のきっかけは、同社が今年開催した経済予測会議である。投資戦略を策定する目的で向こう数年間の経済予測を行ったところ、このような見解を見いだしたのだという。

 今年後半は、経済界の要人からもこの言葉が聞かれるようになった。例えば日本では三菱UFJフィナンシャル・グループの畔柳信雄(くろやなぎ・のぶお)社長が、金融危機から脱した後の世界経済の展望について、インタビューで次のように発言している。「新しい秩序は危機時の『異常』と対比し、『ニューノーマル(新しい正常)』と呼ばれている。(中略)米国は金融、レバレッジ、民主導が浸透しており、ニューノーマルへの適合は急にはできない」(日本経済新聞2009年9月21日)
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JJルソー社会契約論の中で
「人民は自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことであって、議員が選ばれるや否や、人民は彼らの奴隷となり、無に帰してしまうのである。その選挙という自由な短期間の間に、彼らが自由をどのように行使しているかをみれば、彼らが自由を失うのも当然であるといえる。」
議会政治が抱える危うさを指摘
小沢氏に集中する権力と逮捕者を出してもなお、小沢氏への批判や政治責任を問う声に乏しい民主党内。桐蔭が口をつぐんだままでは、ルソーの懸念は現実のものとなる。
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メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳されることが普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。

2010年1月16日土曜日

カルフール撤退とオバマが負けたLOST

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100115ATFK1501I15012010.html
「カルフール」店舗名、国内から消える イオン、3月に契約満了
 イオンは15日、子会社のイオンマルシェ(千葉市)が運営する大型スーパー「カルフール」について、小売大手の仏カルフールと結んだ店舗名称などの使用ライセンス契約が3月9日に終わると発表した。

 幕張店(千葉市)や東大阪店(大阪府東大阪市)など営業中の6店は店舗名を変更する。新しい店舗名は未定。カルフールのプライベートブランド商品の販売も終える。

 カルフールは2000年に日本に進出したが、品ぞろえなどが日本の消費者に受け入れられず、05年に日本法人をイオンに売却して撤退した。イオンは会社名を「イオンマルシェ」と改めたが、店名はカルフールのまま営業してきた。

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カルフールはイオンが運営してたの忘れてました。
しかし海外のメジャー小売りは日本だとうまくいってないみたい。
第1位 ウォルマート(米アーカンソー州)
・EDLP(EveryDayLowPrice)、物流効率、IT化で成功
・現在、世界10カ国に進出し
・日本では、西友を子会社化して展開している。
・韓国、ドイツからは撤退
・ダイエーが産業再生機構入りしたのをきっかけに、支援企業として名乗りを上げていたが、落選した。
・創業者サム・ウォルトンの親族ウォルトン一族は超金持ち

第2位 カルフール(フランス)
・サルコジ大統領のチベット擁護発言により中国人不買運動

第3位 テスコ(イギリス)
・日本ではつるかめランド。首都圏中心

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一般教書演説(いっぱんきょうしょえんぜつ、State of the Union Address)とは、米国で大統領が、アメリカ合衆国議会両院の議員を対象に行う演説で、国の現状 (State of the Union) についての大統領の見解を述べ、主要な政治課題を説明するもの。

オバマ大統領が延期するとのうわさが。
その日に大人気テレビドラマがやるからだって。。。

「LOST」最終シーズン

そんなに面白いのかな?
ってそんなことで延期していいのか?

2010年1月14日木曜日

世界三大宗教 仏教編

「世界三大宗教」重要ポイント83 三笠書房 
を読んで興味深い部分を列挙する

■仏教
P117<仏教の柱となる教え>
「この世にあるすべて事物は永遠に存在するものでなく、常に変化している。すべての事物は必ず何かの縁によって生まれるため、単独で存在しているものは一つもない。また、必ず他との関係性を持っているので、自分(のもの)という存在もない。ところが、人は自分が永遠に存在すると思い込み、すべてを自分のものにしよう、自分の思い通りにしようとする。だから、この世のすべてを苦しみに感じるのである。」
こういった万物の心理を知らないから、あるいは素直に受け入れようとしないから、人はなんでも思い通りにしたいという煩悩にとらわれて、自ら苦しみをつくり出してしまうのである。つまり万物の心理を知り、自分の煩悩を断つことができれば、全ての苦しみはなくなり、これまでとは違う究極の静かな安らぎの境地を得られるはずだ。

この真理は仏教の教えの基本となり、中国へ伝わると漢語にまとめられ、日本へ伝来し、今も大切な教えとされている。

①諸行無常
すべてのものは、必ず変化し、常に同じものとして止まらない
②諸法無我
すべての存在は、必ず他との関係性によって生まれている
③一切行苦(いっさいぎょうく)
この世のすべてのことは、自分の思い通りにならない
④涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
仏の智慧を学び実践し、到達する悟りの世界は、心静まった安らぎの境地

輪廻転生は、もともと仏教の思想ではなく、古代インドに存在した思想である。釈迦が説いたのは輪廻の世界すべてを「迷いの世界」と明確に位置付け、「ほんとうの幸せはその世界を解脱したところにある」と説いたことである。
わかりやすくいうと、そうした輪廻の世界にいては、本当の幸せは得られない。輪廻とは、人間は自分の善悪の行いによって死後に生まれ変わる世界が変わること、そうした生死を永遠に繰り返すことである。たとえ天道(神々の世界)に生まれても苦しみは存在し、必ず死は訪れる。しかも天道でも悪いことをすれば、死後に別の世界へ生まれ変わってしまう。つまり、輪廻の世界にいる限りは、苦しみは永遠になくならないというわけだ。
釈迦はそのことに気付き、そうした輪廻の世界から抜け出すことこそが、わたしたち人間がほんとうに苦しみから解放されることだと悟り、それを「解脱」と呼んだ。釈迦はそのための方法を「法(ダルマ)」としてまとめ、それを教えとして説いたのだ。

P214 <仏教の経典>
同じ教えでもきく人の能力に応じて様々な「方便」(仏が衆生救済のために使う手段で、例えや仮の話を用いること)があり、大乗仏教の経典には方便として実に多くの菩薩が登場する。ブッダは三世(さんぜ)(過去・現在・未来)十方(じっぽう)にそれぞれに存在すると考えられるようになり、中でも阿弥陀仏や薬師仏などが熱烈な信仰を受けるようになる。さらに、慈悲ゆえに自らはあえてりんねから解脱しないで衆生を救済し続ける存在として、観世音菩薩(かんぜんのんぼさつ)、文殊菩薩、弥勒菩薩(みろくぼさつ)など数々の菩薩が生まれたという教えが説かれた。

釈迦の説いた仏教はシンプルに言うと仏教の教えを学び、それを基にして自分の心や行動と対峙し、日常生活で実践して自らの苦しみを解放するというものだった。つまり人間も努力することでブッダになれるという考え方だ。

一方日本に伝わった大乗仏教の基本は、釈迦を人としてみるのではなく、「如来」「菩薩」という言葉を用いて超人的あるいは神格的存在とし、その大いなる慈悲の心や大衆を救済する力を崇拝して、自らはその偉大な力によって助けてもらうことを願いとする考え方である。

P216<法華経>
日本へ最も影響を与えた経典が「法華経(正式には妙法蓮華経)」である。法華経とは、簡単に言うと「すべての法はすべての大乗の教えであり、久遠実成(くおんじつじょう)(仏<ブッダ>とは永遠の生命そのもの)である」という教えを説いた経典である。中国では「経典中の王」と呼ばれる。
日本で初めて法華経の教えに影響されたのは聖徳太子だが、今日の日本仏教の基礎としたのは最澄である。
そのきっかけは、中国天台宗の開祖とされる智顗(ちぎ)。中国に伝来した仏教の教えは、実は時系列通りに伝わったわけではなく、様々な時代の経典がばらばらに伝播された。その複雑な状況を解決するために智顗は、経典の格付けを初めて行ったのである。
これを学んだのが最澄で、天台宗(正式には天台法華宗、806年)を開き、比叡山に延暦寺を建立した。

P218<南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏の大きな違い>
法華経が日本の仏教で最高経典と位置付けられた理由は、その経典名にも由来があるといわれている。蓮華とは蓮の花の花のことで、仏教では仏陀を象徴する花とされている。というのも泥水の中から美しい花を咲かせる蓮の花は、数多くの煩悩を持つ人間の中にあっても悟りを開いたブッダと同じイメージ感じさせるからだ。この経典には、釈迦の偉大なイメージが豊かに説かれていることから、頭には漢語で「素晴らしい教え」という意味の”妙法”がつけられ、「妙法蓮華経」という題目の最高経典とされたのである。

妙法蓮華経の教えの中には「久遠実成」と呼ばれる説があり、歴史上初めて仏教の悟りを開いたとされる釈迦は仮の姿で、ほんとうは遠い昔にすでに悟りを開いて成仏し、それ以来仏として人々に教化を続けているのが、真実の釈迦の姿とするものである。このように、法華経が仏教の開祖である釈迦の存在を完全に超人化させた教えを説くことで、他の経典にどんな仏や菩薩が出てきても釈迦と関連付けることが可能となり、また「方便である」という一言で、すべて納得して理解することができるからである。
これにより天台宗は法華経を中心に仏教の教えが学べる修行道場として発展した。

しかし、平安時代後期から鎌倉時代になると、武士が勢力を強めて社会情勢や治安の不安が増大、その影響から世間には末法思想や厭世思想が急速に広がり、既存の天台宗の教えや密教の教え以上に、より大衆を救済できる仏教の教えが求められるようになった。

その社会の要求に応じたのが、比叡山で修業した法然や親鸞である。彼らは天台宗にある膨大なお経の中から、阿弥陀仏という釈迦以外のブッダの存在と、その素晴らしい特徴に注目した。それは、阿弥陀仏がすべての人を救済するブッダであること。阿弥陀仏を信じて「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰依します)」と念じた人には、阿弥陀仏自身がその願いに応えて、自らの悟りの世界である極楽浄土へ生まれ変わらせるということだった。
この阿弥陀信仰はもともとインドで生まれ、中国で浄土教として成立しその教えが日本に伝播されたものである。阿弥陀仏の浄土に往生するための経文には、極楽の荘厳さと地獄の様相が説かれていた。そして往生するためには、具体的に極楽浄土や阿弥陀仏をイメージする観想念仏を実践することが大切だと教えている。
ところが、この時代の大衆は文字の読み書きができない人が多く、仏教に対する教養がなかったことから極楽浄土や阿弥陀仏のイメージがなかなかできなかった。そこで、後に天台僧になる空也(くうや)が「南無阿弥陀仏」と口で唱えるだけでいいというスタイル(口称念仏)を提案し、踊りながら念仏を唱えて初めて大衆を教化した。
法然は、空也の念仏信仰をただ一心に唱えるというスタイルで引き継ぎ、「阿弥陀仏はすべての人を救うのが本願なので、ただ一心に念仏を唱えるだけでいい」という教えを説き、浄土宗を開いて大衆念仏信仰へと導いたのである。
また、法然の弟子親鸞によって更に大衆化が進められる。彼は「念仏を唱えるから極楽浄土へ成仏できるのではなく、私たちはすでに阿弥陀仏の力によって極楽へ行くことは決まっている。その感謝のために念仏は唱えるもの」という教えを説き、すべての人がすでに阿弥陀仏の慈悲によって救われているという独自の念仏思想を確立。その教えを受け継ぐ浄土真宗は、現在でも日本一の信者数を誇っている。

一方、この念仏に似て非なるものが、「南無妙法蓮華経」である。日本ではさまざまな宗派がそれぞれの仏教の教えを説いているが、一向に平和にならない。真の仏教は、やはり最高の経典の法華経にある。今こそ法華経を中心とした教えを説かなければ、日本に平和は訪れない。こう考えた日蓮は、既存の日本仏教の教えはすべて間違っていると確信し、法華経の教えだけが人々を救えると主張した。そして、法然と同様に文字の読み書きができない大衆を教化するため、「南無法蓮華経という題目を唱えるだけで、人は救われる」という極端な教えを説いたのである。日蓮が提唱したこの教えは、日本独自の新たな仏教思想であったため、日蓮宗と名付けられた。

「南無法蓮華経」「南無阿弥陀仏」の二つの信仰の世界観は大きく異なり、相容れない教えである。

P237日本人が仏教を自分の宗教だと思わない理由
今日でも日本人の多くは、葬儀や供養を仏式で行い、仏に手を合わせる。ところが「儀式としてやっているだけで、仏教とではない」とする人が少なくない。こうした現象は世界広しといえども日本人だけのようだが、そのきっかけは江戸時代の「寺請(てらうけ)制度」にあるといわれている。江戸時代にキリシタンを禁圧一掃するために行われた宗教政策で、檀家制度(一家が必ず地域に存在する一定の寺院の檀家となって自らの家の祖先供養をしてもらうとともに、布施をして寺院の財政を助ける制度)とともに全国的に制度化された。このとき、仏教は事実上国教化し、すべての日本人は強制的に仏教徒とされたのである。寺院は今でいう役所の戸籍課のような体制的役割だったわけである。そのためこの時代以降の日本人には「宗教を信仰する」という意識が芽生える前から「信仰にかかわること、死に関わることはお寺へ…」という認識が寺院に対して根深く植え付けられ、それが200年以上も慣習として続いた。これが「仏教の信者」の意識がなくても仏に手を合わせ拝み、死後の儀式を寺院で行うという、日本独自の不思議な信仰形式をつくりだしたのである。

世界三大宗教 イスラーム編

「世界三大宗教」重要ポイント83 三笠書房 
を読んで興味深い部分を列挙する
■イスラーム
P109<イスラム教の柱となる教え>
イスラム教の信仰は、仏教やキリスト教よりもわかりやすいといわれる。というもの、何をどのように信じればいいかが、「六信」として明確に分類されているからだ。
①アッラー(神)
②マラク(天使)
③キターブ(コーランを中心とした啓典、聖典)
④ナビー(預言者)
預言者はムハンマドだけではない。アダム、ノア、アブラハム、イエスも入る。ムハンマド以降預言者は現れないと信じる。
⑤アーヒラ(来世)
輪廻転生ではなく、「最後の審判」後の世界を信じる。現世での行動が優れていて善行をつんだとアッラーに認められた人は緑園(イスラム教の天国)へ行く。逆に悪行を重ねアッラーにその罪を赦されなかった人、あるいは不信心と断定された人は煉獄か地獄へ行く。来世に行くのは霊魂でなく、生身の人間。←これがイスラム原理主義者のテロリストが自爆を行うのは、ジハードで殉職したものは緑園に行けると信じているから
⑥カダル(天命)
この世に起こるすべてのことはアッラーの意思によるものでその例外はない

P202コーラン(クルーアン)の教え
アッラーの最大の特徴は、コーランに次のように記されている。
「これぞアッラー、唯一なる神、永劫不滅の神。生まず、生まれず、一人として並ぶ者はいない」
これは最も根源的な教義を表したもので、この言葉がイスラム教のすべてを集約しているともいわれている。
唯一絶対のアッラーは全知全能で天地万物の支配者であり、時や場所に関係なく常に存在し、人間を慈悲と慈愛で見守っていることを大前提としている。 「生まず、生まれず」は和訳では「子もなく、親もなく」と表現されるが、キリスト教のイエスのような、いわゆる「神の子」がアッラーから生まれることは決してないと宣言しているのだ。なぜらなアッラーは唯一絶対の神であり、人間はアッラーによって創造された存在であるからだ。本来、創造主と創造物の関係の間には越えられない線があり、その中間的な存在などあり得ないからだ。そのような存在をキリスト教のように無理に認めると、神の子を名乗る偽善者が多く登場して人類を混乱させるからその配慮をしたともされている。*ムハンマドも神の子ではなく、あくまで預言者

P208シャーリア(イスラム法)
宗教の戒律、社会規範、国家の法律と一体となったもの イスラム教徒は戒律ではなく法律としている イスラム教国はこれが法律となる

第一の法源(法律の根源)当然コーランだが、歴史が流れると社会が複雑化していき、コーランでは対処できない事柄が出てくる。それを補うために編集されたのが第二の法源「スンナ」
スンナは基本的にムハンマドの言行に基づく規範・先例・行為などを表したもの。それを記録編集したものを「ハディース(アラビア語で伝承の意味)」。宗教儀礼、婚姻、養育、遺産相続、商取引、負債・担保などお金や財産に関すること、各種刑罰など、日常生活に関わる様々なことが網羅されている。 また、律法学者の教義した判例などその他第10の法源からシャーリアは成っている

日本だといわゆる「世間の常識」とされていることも、シャーリアには記載がある。息苦しく感じるがかえってわかりやすいかもしれない
例えばイスラム教徒が守るべき6つの義務として
・挨拶を交わす
・招待されたら招待に応じる
・求められたら助言する
・相手がくしゃみをしたら、その人のために神に救いを求めてあげる(くしゃみをすると魂が抜けるとの言い伝えから)
・病気になれば見舞う ・知人が死んだら葬式に参加する

P233イスラム教への入信
キリスト教は洗礼(バプテスマ)、仏教の出家など宗教への入信はそれなりの厳格な儀式を必要とする場合が多い。しかしイスラム教では形式的な儀式は一切行わず、すでにイスラム教徒として信仰している人を証人にして、誓いの言葉を唱えるだけで誰でもイスラム教徒になれる。(ただし成人男女)

「アッラーのほかに神なく、ムハンマドはアッラーの使徒なり」

一日5回の礼拝は、信仰心のない人には厳しく感じるが、イスラム教徒にとってはアッラーを感じられる至福の時であり、義務というより生きている間に欠かすことのできない大切なひとときである。自分の都合に合わせて神仏に祈る一般的な日本人の礼拝とは、その重さが違う。

イスラム教には僧侶や神父のような聖職者がいないので、「寺院」等とは呼ばず、礼拝堂、礼拝所、集会所と呼ぶのが適当だろう。イスラム教に聖職者がいないのは、神はアッラーだけであり、人間はすべて平等と教えているためだ。その代わりに「ウラマー」と呼ばれる宗教指導者が存在する。イスラム教の伝統的な諸学を習得した学者で、和訳するとイスラム法学者となる。宗教的特権は認められておらず、日常生活でも聖職者のような生活はしておらず、法学者、裁判官、モスクの管理などの仕事に就いている。

P245イスラム教の死後の世界「緑園」
イスラム教徒の天国は「楽園」あるいは「緑園(りょくえん)」としている。砂漠の中で水と緑を持つオアシスのイメージから名づけられたといわれ、コーランの中にも明確に写実的に描かれている。
注目すべき点は不毛の砂漠で生まれた宗教がイメージした楽園らしく、まず河川があり、涼しい木陰や多くの果物あるところを強調している。しかも水だけでなく、生娘や金銀財宝、さらにこの世で禁止されているお酒も飲んでよいという。


どうすれば楽園に行けるか。イスラム教ではキリスト教の「最後の審判」とほぼ同じことを教えている。最後の審判の日、人は再び肉体が与えられ、それまでの個人の善行や悪行すべてが審理される。預言者ムハンマドは弁護人となって援護するというが、すべては個々人の善悪の行いが基準となる。その点がキリスト教の「神のみぞ知る」というキリスト教と大きく違い、イスラム教では個人の日々の積み重ねがあくまで重視されるのだ。

キリスト教の「神の国」と違う点は、楽園での女性との関係について明言しているところである。楽園には絶世の美女ばかりいて、性格はもちろん肉体も人並み以上。しかも何回セックスしても女性は処女のままだとしている。仏教の悟りの世界とは対照的である。一切の欲望がない世界と、すべての欲望を満足させる世界。イスラム教徒たちがこの世界で禁欲的な信仰生活を毎日実践できるのも、実はこの楽園を目指しているからなのである。

世界三大宗教 キリスト教編

「世界三大宗教」重要ポイント83 三笠書房 
を読んで興味深い部分を列挙する

■キリスト教
p44
キリスト教の説く「神を愛し、隣人を愛せよ」の本当の意味は「すべての人間を愛しなさい」ではなく、「隣にいる自分と同じ教えを信仰しているキリスト教徒を愛しなさい」と限定している。

神への信仰を契約化したキリスト教の本質は基本的に、(キリスト教の)神の命に従い一心に信仰する者だけを救い、それ以外は救わない。

p93<キリスト教の柱となる教え>
人類の祖先である アダムがエデンの園を与えられた時点では、死というものは存在していなかった。今日でこそ、「人間は死が訪れた後に天国という場所に向かう」というイメージが一般に定着しているが、旧約聖書によると、人間はもともと楽園を神から与えられ、命の終わりがない生活をしていたというのだ。キリスト教とイスラム教が説く唯一絶対神の愛や慈悲が、仏教のそれと大きく違う原因はここにある。つまり、唯一絶対神の愛や慈悲は、人間が困難から救いを求めるから与えるというものではなく、人間が創造された当初から既に与えられていたというわけである。

神は、エヴァを創造するにあたって、アダムの時のように土からつくらず、アダムの体の一部(肋骨)を使った。つまりエヴァはアダムから誕生したわけである。この男性から女性が生まれたという考え方は、キリスト教とイスラム教の大きな特徴となっているが、たとえば、預言者はすべて男性であり、イスラム教の教えを説くウラマー(イスラム教の神学者)やキリスト教の司祭も男性に限られている。また、イスラム教もキリスト教も女性より男性を尊重する傾向が強いのは「アダムからエヴァが生まれた」とう教えが影響していると指摘する人もいる。

アダムとエヴァが神の命令に背いて善悪を知る木の実を食べて、人類最初の罪を犯したことを、「原罪」という。エヴァは蛇にそそのかされ最初に実を食べたので、神から罰として出産を科せられた。そしてアダムとエヴァに死が与えられ、楽園を追放された。アダムとエヴァの子孫であるすべての人類は「生まれながらにして罪を背負い、その罪から逃れられない」という独特の宗教観を作り上げた。神との関係を再び結ぶためには、神から預言者を通して示された教えを疑うことなく、正しく実践することで、人間は再び楽園で永遠に生きることが許されると教えている。

マリアが処女のまま聖霊によって身ごもったとされていることには大きな意味がある。イエスの真の父は「神」であり、イエスは、アダムとエヴァに始まる罪を負っていない特別な存在(神の子)だったということになるのだ。

神の子であるイエス・キリストが人間として生まれ、彼が十字架を背負って死んだことで、すべての人間の原罪は赦されたのである。

P190旧約聖書のメジャーな物語 「天地創造」
1日目→神が光と闇を作り出し、光を「昼」、闇を「夜」と呼び世界で初めて「一日」という時が過ぎた
2日目→「水」をつくり、その水から「大空」を想像して、「天」と呼んだ
3日目→天の下の水から「陸(地上)」をつくり出し、草や果樹を茂らせた
4日目→光のもととなる「太陽」と「月」、「星々」を想像
5日目→水の中に生き物を、大空に翼のある鳥をつくる
6日目→地の生きる家畜と這うもの(蛇など)と野獣を創造

人間(アダムとエヴァ)も アダムとエヴァが楽園を追放(原罪)
・蛇にそそのかされ知恵の実を食べた
・エヴァには子どもを産む苦しみと人間に死が与えられる

アダムとエヴァの子
兄カイン(土を耕すもの)
弟アベル(羊飼うもの)

神にカインが農作物、アベルが羊を捧げると、神はアベルの羊だけに目をとめる。カインが怒り、後にアベルを殺す。やがて神がカインにアベルの所在を尋ねるとカインは知らないと嘘をつく。神が激昂し、カインはエデンの東に追放される。

「バベルの塔」
天まで届く塔をつくろうとした人間の高慢さを感じた神が、人間の言語を複雑に変え、お互いが何を言っているかわからないようにして、人間を世界中に離散させた

P230聖人の名前を名づけるのがポピュラー
カトリックや東方教会においては、イエスの十二使徒をはじめ人並み以上に信仰に優れた信徒や殉教者、教皇によって列聖(聖人の位に列すること)された人を「聖人」として崇める。これはプロテスタントにはないものだが、唯一例外なのが氏名。世界中のキリスト教徒は、子供が生まれると、旧約聖書と新約聖書の中に登場する預言者や聖人の名前をとって、わが子に名づけているという。
アイザック…旧約聖書三大族長の一人のイサクから。<アイザック・ニュートン>
ジョン(john)…新約聖書十二使徒ヨハネ、これをスコットランドのケルト語で発音するとショーンとなる。<ショーン・コネリー>
デイヴィット(David)…旧約聖書イスラエル王ダビデから
英米マーク、独マルクス(Maic,Marcus)…新約聖書「マルコによる福音書」の著者マルコ
ルーカス(Lucas)…「ルカによる福音書」の著者ルカ
ポール(Paul)…パウロから
伊ピエトロ、独ペトロ、露ピョートル、英ピーター…ペテロ(Petros)
英米マイケル、ミッシェル、独ミハエル…大天使ミカエル

P259米国裁判とキリスト教の罪への考え方
「人間を裁けるのは神だけであり、真の裁きは神に任せておけばよい」とし、裁判は人間を裁くのではなく、社会の秩序を保つものと考えている。「わたしたちが犯罪者を放置しても、その人間がほんとうに悪人ならば神が罰し、その罰から人間は決して逃れることはできない。すべての人間は最後の審判が訪れたときに真の裁きを受けるのだから」

2010年1月13日水曜日

【用語】粗利と営業利益、経常利益

会計のことって忘れ気味なので、備忘録で記載。
http://homepage3.nifty.com/domex/business/yogo_arari.htm
http://homepage3.nifty.com/domex/business/yogo_eigyo.htm
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売上総利益とは(粗利、荒利益、粗利率、売上原価)
売上総利益とは売上高-売上原価の計算式で求められる。P/L(損益計算書)で一番最初に現われる利益の名前である。

正式な名称は「売上総利益」だが、商売の世界ではそんなかしこまった呼び名は使わない。日常的には、粗利(アラリ、ソリ、粗利益、荒利)と呼ぶ。その方が、ゼニの音が聞こえそうだろう。その粗利とは、文字通り大雑把な利益のことだ。つまり「売上-売上原価」だから、最終的な正味の利益(P/Lで言う当期利益)ではない。

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■売上原価との関係で粗利の意味を理解しよう
粗利を理解するにはまずもって売上原価を理解しないといけない。所が「売上原価とは何か」、というとこれが結構難しい。キチンと答えられるビジネスマンは意外と少ない。仕入原価でも、製造原価でもないのだ・・・
 例えば、70円の菓子を10個仕入て、100円で8個売ったら、売上800となる。その時の売上原価はと言うと、700ではない。8個分の8×70=560円となる。2個は売れ残ったから原価(費用)に入れないで期末在庫という資産になる(損益計算から除かれる)。つまり売上原価とは「売れた分に対応した原価」なのだ。
繰越在庫がある場合では、売上原価=期首在庫+当期仕入-期末在庫 となるこの計算式から分かるように、期末在庫をどう評価するかによって粗利は変化する。例えば事実に反して過大に評価すると粗利は増える。過少に評価すると粗利は減る。前者は業績をよくしようする粉飾決算の手口であり、後者は脱税目的の手口である。

■粗利とは、商売の大元の利益のこと
話を粗利に戻そう。粗利とは、商売の大元の利益と言う意味になる。あるいは商品売買益、商品がもたらす利益とも言える。商品1単位当たりの粗利は「売価-仕入」で簡単だ。これは商売ではとても重要だ(蛇足ながら商品売買業なら管理会計の限界利益に相当する。製造業では粗利≠限界利益である)。
ついでに言うと、粗利が赤字になることは無い。先の例で、どんなに販売不振で1個しか売れなくても、100-70で必ず黒字だ。つまり粗利が赤字になるのは原価割れで売るときだ。売れなかったものは損益計算(P/L)から除外されて、費用にならない。在庫、すなわち資産としてB/Sに残るのだ。 
ビジネスの会話で「この粗利いくら?」とか「この事業の粗利率は?」なんて気軽に使ってみたい。そのほうが通らしくてイイ。というわけで「売上総利益」は教科書や決算書でのみしか使われないさびしい言葉なのです・・・・
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■粗利率とは
P/Lの粗利の下には販管費、営業外費用・・・などいろんな費用がある。だから粗利はまずもって大きい方がよい。通常、売上が増える(増収)と粗利も増える。売上よりも売上原価が増えると粗利は減る。だから金額の絶対値よりも効率、粗利率(売上総利益率=売上総利益÷売上高)が重視される。これは売上原価率の反対側だ(足せば100%だから)。
あなたの会社の粗利率はどの位か知ってますか?。業界や業種ごとの粗利率の違いを見ると面白い。一般にモノを扱う会社は粗利率は低いものだ。あのトヨタですら20数%程度(売上が17兆円とでかい・・・日本一・・・、だから粗利率がその程度でも最終利益は1兆円を超す)。 暗闇から這い上がりつつあるゼネコンでは一桁台の会社もある。100円ショップで上場しているキャンドゥ(ダイソーは非上場なので不明)は意外や意外34%だ。
しかし世の中には優良・ビックリの会社がいるものだ。花王はなんと50%だ(洗剤なんか安売りだろうは間違い。同社のコストダウン力と新製品開発力はすごい 04/3期)。国際的なところではインテルも軽く50%を超す(独占だもん。04/4-6期は60%だとか。ちなみにR&D比率は15%、営業利益率は25%、当期利益率は20%前後だ)。
セブンイレブンの粗利率はどのくらいか知っていますか?77%(04/2月期)だ。もちろん本部の話し。末端は小売業なのだが本部は小売ではなく情報サービス業に近い。お店から受け取るロイヤリティーや経営指導料が主だから売上原価が少ないために異様に高い値になる。ついでに営業利益率は35%と超高収益だ。末端のお店の粗利率はと言うと平均30%くらい。
医薬品業界の粗利率も高い(失礼ながら、昔から薬九層倍といわれているよね)。清涼飲料業界も高い。コーラ(ボトラー)などは42%、伊藤園は50%、キリンビバレッジは57%・・・。一般に、粗利率が高い企業は製品の差別化による高価格政策を取れる企業(製品力で優れる)か、規制により保護されているか、流通における独占的な強みがある、あるいは流通コストがやたらと重荷になる企業に多い。
業界構造として販管費比率が高いケースも多い。販売・流通コスト、研究開発費がやたらとかかるから、価格政策に躊躇して高い粗利が確保されるのだろう(でもこのパターンは崩れつつある)。 さて、高粗利率企業の例を書いたけれども、粗利率は異業種での比較には使わない。事業の基本構造が違うからだ。同業者間での比較で意味がある。 ところで、ヨノナカニハモットスゴイ会社がある。あの中村さんの特許紛争の会社、日亜化学工業はナナント、経常利益率が53%(売上1800億、経常利益948億円 H15/12、粗利率は不明)・・・いいナー
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営業利益とは

P/L(損益計算書)で最初に現われる利益項目は売上総利益(粗利)である。その粗利は商品がもたらす利益なのだが、何もしないで商品が売れるわけではない。販売努力をしたからであり、その販売を支える内部のいろいろな管理活動もある。と言うわけで、それらを含めて「販売費及び一般管理費」と呼ぶ。でも長すぎるので販管費と略する。一口に販管費と言っても中身は実に雑多だ。それについてはここでは省略して次に進もう。
販管費の下に現われる利益が営業利益である。営業利益=売上総利益-販管費よく使う言葉だが『営業利益って何?』と問うと粗利と同じで、うまく答えられない人が多い。『営業で得た利益』では意味不明だ。ここはズバリ「本業で稼いだ利益」、「本業の利益」と覚えよう。
本業って? メーカーなら作って売るが本業。商売なら仕入れて売るが本業と言うわけだ。ふつう好況期は黒字だからあまり気にしないが、不況時はこの営業利益が注目される。なにしろ本業の利益が赤字だとヤバイよね。
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経常利益とは
さて、本業という区分で線を引いたのだから、そこから下は非本業の部というわけだ。とりわけ金融の稼ぎ(受取利息や配当金)や金融の費用(支払利息など)は普通の会社にとっては非本業である。それらをP/Lでは営業外損益の部と呼んでいる。その下に、ようやく経常利益が現われる。経常利益=営業利益+営業外収益-営業外費用
『経常利益って何?』・・・これも当たり前のように使われている言葉だけれど、難しい質問だ。まともに答えられる人はほとんどいない。  例えば、・算出式で応えるのが精一杯・・・普通はこれが多いけれど、単なる式では意味を説明できていない。・毎期発生するであろう会社の経常的な利益・・・説明文に「経常」が入っていてはダメだよね。でもいい線だ。 そもそも「経常」の意味が分からないと説明できないはずだ。辞書で引くと「常に一定の状態で続くこと。繰り返すこと」などがある。この『繰り返す』がミソだ。つまり、「P/Lの一番上の売上高~ここの経常利益までの段階(プロセス)は毎期繰り返して発生している事業活動」と言うわけだ。 (毎期とは決算期間のこと、一年でも半年でもかまわない) 当たり前だけれど、売上は毎期繰り返す。販管費の中も毎期似たように発生する。金融活動だって、企業では受取もあれば支払もある。と言うわけで・・・ 経常利益とは『毎期繰り返す事業活動の結果の利益』という意味だ。新聞などで増益、減益と言うばあいはこの経常利益を指す。そのくらいP/Lで一番注目される存在だ。長い間、日本企業は経常利益主義と呼ぶくらいにこの利益項目にこだわってきた。
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特別損益とは
何となく分かってもらえただろうか。難しい言い回しだから少し腑に落ちないかもしれない。しかしその下を見ると、改めて理解できるだろう。営業利益で本業と非本業を区分したように・・・毎期繰り返すと言ったのは、裏返すと企業活動の中には繰り返さないものもあるからだ。「非経常」とは表現しないけれど、臨時的・例外的な取引があるのだ。資産売買による益がでた損がでた、災害による損失、リストラ費用などその他臨時的なもの(ちなみに不動産会社の土地のように販売用資産の売買損益は本業に入れる)。これらは毎年決まって発生するわけではない。大企業は資産が多いから毎年いろいろと発生するが、本業ではないし例外的なものだ。
一般に特別利益よりも損失計上の方が多い。その特別損失のことを特損と呼ぶ。2000年前後の負の清算を迫られていた頃は、不良債権や不良資産の処分で数百~数千億円規模の特損計上を余儀なくされた大企業が続出した。
こうした臨時的なものを経常利益の前に含めてしまっては、損益の質が読み取れなくなるし、前年度との比較もしにくい。だから特別損益の部として外され、経常利益を境にして、毎期繰り返すものと繰り返さないものに分けたというわけだ。
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当期利益(=当期純利益、税引き後利益、最終利益)とは
続いて、税引前利益=経常利益+特別利益-特別損失 となる。なお、連結決算のP/Lでは「税金等調整前当期利益」と呼ばれる。当期利益=税引前利益-法人税、住民税及び事業税+法人税等調整額 となる。法人税等調整額は税効果会計のルールで生じる調整項目である。
商法では当期利益、金融商品取引法では当期純利益と呼ぶ。いっそ同じくすればと思うが、それでいて、たんに純利益とか税引後利益とも俗称されている。マスコミ記事では最終利益(最終損益)と表現されることもある。会計用語ではない通俗的な表現であり分かりやすいからだろう。 とにかく、いろいろな利益の中の最後の利益項目である。これぞ期間の最終利益なのだ。「最後の手取り」、「結局いくら儲かったんだ」という意味だ。
 日本は経常利益を重んじる習慣があると述べたが、アメリカ企業ではこの当期利益を重視する。それは、この値が株主資本を増やす源泉になるからだ(ステークホルダー参照)。今日有名なROE(自己資本利益率)の計算には当期利益を使う。 ところがそう簡単でない場合がある。特別損益の額が大きいと当期利益が影響を受ける。一時的な特別利益や損失の額を排除して評価したいときは、経常利益×60%を「修正当期利益」とする方法もある。税金が40%位という仮定だ。

2010年1月12日火曜日

性別の変更って出来るのですね

http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/hyogo/100110/hyg1001102141002-n1.htm
嫡出子との届け出認めず 性同一性障害の夫に市役所 兵庫・宍粟2010.1.10 18:53
 性同一性障害で、戸籍の性別を女性から変えた兵庫県宍粟市の自営業男性(27)が、弟の精子の提供を受け非配偶者間人工授精(AID)で妻(28)との間に生まれた子供の出生届を市役所に提出したところ「非嫡出子」として届け出るよう指示されたことが10日、男性への取材で分かった。
 男性は平成20年3月に戸籍の性別を変更し、翌月結婚。実弟から精子の提供を受け、妻は昨年11月4日に男児を出産した。同月5日に市役所に出生届を出したが、市の担当者が性別変更を知っていたため嫡出子としての受理を拒否。翌日、非嫡出子としての届け出を指示され、養子縁組するよう勧められた。
 男性は嫡出子とする出生届を市に郵送。不受理となれば神戸家裁龍野支部に不服申し立てする方針。
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性別の変更ができるとは。。。

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E6%80%A7%E5%88%A5%E3%81%AE%E5%8F%96%E6%89%B1%E3%81%84%E3%81%AE%E7%89%B9%E4%BE%8B%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B

本法でいう性同一性障害者とは、専門的な知識を有する医師2名以上によって「性同一性障害」の診断を受けている者であり、日本精神神経学会の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」における定義と概ね一致する。上記定義による性同一性障害者が次の5つの要件を満たすとき、家庭裁判所の審判により性別変更が認められる。

1)20歳以上であること
2)現に婚姻をしていないこと
3)現に未成年の子がいないこと
4)生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること

4、5の要件は、性別適合手術を受けていることに概ね対応する。
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しかし性同一性障害者の権利てこんなにも拡大しているのですね。テレビなんかでもよく見ます。私自身は特に同情等はしませんが、他者に迷惑をかけないのならばお好きにどうぞとの感覚です。が、冒頭の子どもの非嫡出子のことにはちょっと違和感を感じます。
弟の精子をもらって、子どもを産んで、自分の子どもにしてしまおうってちょっと強引な気がしますが。。

都の西北総長の話

2009年1月11日 日経 早稲田大学総長 白井克彦氏「教育」要約

(前略)

大学教育の大衆化は著しい。日本の大学進学率は平成初期の約40%から今や55%を超え、高卒者の就職率が低下すれば、さらに上昇する可能性もはらんでいる。

日本における大学進学率の急激な上昇はベビーブーム世代が進学期を迎えた昭和40年代と、第2次ベビーブーム世代が進学期を迎えた平成初期の2回であった。国は人口ピーク時に大学の定員を政策的に増やしたが、人口減少期に入って定員を減らさなかったこともあり、進学率が上昇したのである。
この進学率の上昇は、今や学部大学生の77%を担う私立大学の拡充によってなされたのである。ところが、私立大学の収入の76.5%は学生生徒等納付金であって、国からの補助金は11%にすぎない。高等教育に対する公的支出は年々減り続けている。2008年度には国立大学86校に約1兆2000億円、私立大学873校に約3200億円が支出されている。
この金額は国内総生産(GDP)比0.5%であるが、これをせめて経済協力開発機構(OECD)加盟国平均の1%にしないと、知的生産力のグローバル競争で日本が優位に立つことはできない。国立大学を含め平均してみても、高等教育の私費負担は66%に達しており、OECD平均27%の実に2.5倍に及ぶのである。
(中略)
大学の大衆化に伴って、教育レベルの低下が著しいという指摘がある。これについて、「そもそも50%を超える進学率は高すぎるし、大学が多すぎる定員割れしている大学は淘汰されるべきだ」という主張を耳にする。ところが実は、日本の大学進学率は先進諸国と比べて特に高いわけではない。今、各国は、競争力の根幹として高度な”人財”の育成、確保に懸命である。

大学が多すぎるのではないかという疑問が生ずるのは、大衆化した大学と社会との基本的関係が問われていることを意味する。
これまでの考え方は、18歳で大学に入り、4年あるいは6年程度で社会に出るために訓練をするという伝統的な大学像に基づくものであった。その流れは極めて単純で、教育時と労働時は完全に分断されている。
だが、日本が直面している少子高齢化や地方の疲弊などの深刻な問題に対処するには、現在の社会構造の何らかの大きな変革が必要であって、全体構造を固定したままで部分的に税金を投入しても、あまり効果は上がらないことが明白になってきている。

そこで、ここでは次のことを提案したい。午前中は大学で勉強し、午後は働く、またその逆でもよい。地域の産業、農業、福祉、保育、初等教育などの仕事と、教室における学習を幅広く組み合わせることで、地域社会に大きな構造変化をもたらすことができるだろう。その際、大学教員として、ベテランの社会人とともに、若手や女性を積極的に登用すれば、学生たちのリーダーとなって地域のあらゆるセクターに参加して、地域変革の大きな力を生むことも可能になる。議会にベテラン議員と学生議員がいることも考えられる。もちろん、学生は18歳で大学に入学しなくてもよい。必要な時に、都合の良い時に大学で学べばよいのである。

今や、大学は新社会人の半数以上を、“人材”として教育し供給している。多くの大学が社会と一体の関係を持ち、様々な社会機能のレベルを直接的に発展させる役割を果たしつつ“人材”育成を行うことが、日本社会の今後の大きな力となるだろう。

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正直駄文ですな。

なぜ定員割れしている大学を温存する必要があるのか。
OECDの中でもGDP比で助成が少ないから、もっと増やしてね?
日本ってGDP2位のときの統計かな?額だと相当上位なのでは?
で、必要な時に入学できる大学への構造転換?
早稲田はそんなことやってますか?
社会人用のMBAとか会社支援があるようなスタッフ部門の人間じゃないとサラリーマンが払うのは厳しい金額だよ。


って批判はさて置き、大学の大衆化は私自身は素晴らしいことだと思う。学ぶことは楽しい。
ただし、学問をする場所であるので最低限の教養や知識は必要だろう。
私自身18歳でその教養があったわけでもなく、ただただ遊びに夢中のモラトリアム学生であった。
友人や先輩と議論し刺激を受けたり、いわゆる学生のときしかできないことにも熱中した素晴らしき時間であった。
が学問をしたという実感は全くない。
学問をしたいと思うようになったのは社会人になってしばらくしてからである。
学問は娯楽の一種ではないかとも認識しているが、人生を豊かにするものだと私は思う。
(だから、昨今の就職や資格重視の大学には違和感を感じるが。競争を生き抜くためにはやむを得ないのだろうが)
なので、高校を出て社会に出てから大学に戻るような路線もあったらよいとは思う。
それが実学重視のMBAとかだけじゃなく教養教育であってもいい。
だが、現在の社会環境はそれを許す状況ではない。
なので白井学長が言うように社会構造の変化は必要だ。
だが、どうやって変革するのか?
私は社会人教育を大学卒業条件に内包させることが一つの方向性ではないか。
つまり、今日日本では企業等に所属してからの教育が重視されていることが、労働力の固定化や非流動性を生み、いわゆるつぶしがきかない人間を作ってしまっている一因だ。
また、逆に大学での教育を信用していないから企業は一から人材育成を行う。

なんて浅いね。全くまとまってない。

結局個人がどうやって自ら生きるかってことは変わらないが。
また考えよ

2010年1月6日水曜日

NTTデータのシェアードサービス

NTTデータが中国で合弁会社設立、中国金融機関へ事業展開する足掛かりに
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20100104/342860/
NTTデータは2010年1月4日、中国の金融機関向けに強みを持つ北京宇信易誠科技有限公司(ユーチェンテクノロジーズ)と合弁会社を設立すると発表した。2010年2月上旬をメドに、中国・天津市に設立する予定。NTTデータが中国金融市場へ本格的に事業を展開するための第一歩とする。  新たに設立する合弁会社の名称は「宇誠聨融データ有限公司」。同社は、ユーチェンテクノロジーズからインターネットバンキング事業を譲り受け、中国国内の金融機関向けにインターネットバンキング・システムの運用・保守受託サービスやシステムインテグレーション・サービスなどを提供する。最終的には、中国国内の金融機関向けに勘定系システムの運用・保守受託サービスを提供したい考えだ。
 従業員は設立当初、約100人を想定しており、役員のみNTTデータが派遣する。一般従業員は、ユーチェンテクノロジーズからの転籍で確保する。合弁会社への出資比率は、NTTデータが51%、ユーチェンテクノロジーズが49%である。

NTTデータ、間接業務を中国に移管 給与管理コスト半減
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20100106AT1D0509I05012010.html
 NTTデータは2月から人事管理や経理などの間接業務で、データ入力などの作業を中国・無錫のグループ会社へ移管する。人件費やオフィス費用が安い中国に業務を移し販売管理費を抑制、利益率の向上を目指す。給与管理業務のコストは国内で処理するよりも最大5割削減できるという。米IBMやアクセンチュアなど海外勢に続き今後、国内システム会社でも間接業務の海外移管が進む可能性がある。
 NTTデータは本体を含むグループ会社の間接業務を、「シェアードサービス」と呼ぶ手法を活用し、一括請負する国内子会社に集約している。一段のコスト削減に向け2月に、システム開発を委託している中国のグループ会社「無錫華夏計算機技術公司」(無錫市)に、グループの間接業務を請け負うセンターを設立する。
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IBMの大連(日本IBMのシェアードサービス委託先)から問い合わせを受けたことがある。全く要領を得ずすごくイライラした記憶がある。これが顧客向けだったら相当の怒りを受けるだろうと思ったが、内向けなら致し方ないとも思った。間接業務は現場の人間からすればコストを安くすればよいと考えているから、多少の不便は止むを得ない。だが、NTTグループのお堅い半分日の丸会社のデータがここまでやるとは思わなかった。そう2つのニュースに共通していること。仕事を「人件費の安い中国に移管する」ということ。とうとう日本もここまで来てしまった。ベストセラー「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著)がとうとう日本でも現実のものになる可能性がある。クレジットカード支払い催促をしている電話の向こう側は実はインドで、その地域の訛まで勉強しているとか・・・これまで言語的問題で日本では普及が先の話だろうとされていたが・・・今はコールセンターを地方都市に移して主婦層のアルバイトになってるみたいだけど、NTTの電話代金の請求もそのうち中国からの電話になっているかも。グローバル化の進展を実感する。企業はその利潤を果てなく追求するから、(CSRったって結局のところ広報の一環)、このグローバルの流れが止まることはないだろう。昨今グローバル化は間違いだとの意見はあるが・・・すると日本のワーカーは何をするか。他でできないことをしなければ・・・

地銀勘定系共同センター化すすむ

地銀最大手の横浜銀行は2010年1月4日、勘定系システムなどを刷新し、共同利用型の新システム「MEJAR」を全面稼働させた。MEJARは、横浜銀行と北陸銀行、北海道銀行の3行で共同開発したシステムで、横浜銀行が第一号ユーザーである。
 MEJARのシステム開発についてはNTTデータに委託した。同社製の勘定系アプリケーション「BeSTA」を富士通製メインフレームで動作させている。開発工数は3行合計で約2万人月に達したとみられる。工数としては、地銀の共同システムの中で最大級の規模である。
 横浜銀行はシステム共同化により、コスト削減とサービス向上などを目指す。
日立製作所は2010年1月4日、栃木銀行が勘定系システムの共同利用サービス「NEXTBASE」を同日から利用開始したと発表した。NEXTBASEの利用は、徳島銀行、香川銀行、北日本銀行、トマト銀行、高知銀行に続き栃木銀行で6行目となる。
 NEXTBASEの利用により、栃木銀行は新商品や新サービスの迅速な提供、ITコストの削減、災害対策の強化を目指す。
 NEXTBASEは中核にNTTデータの勘定系パッケージ「BeSTA」を採用、同ソフトを日立製メインフレームで動作させている。第二地銀向けの共同センターとしては最大陣営であり、稼働予定の中京銀行を含めると採用行は7行になる。
日本ユニシスは2010年1月4日、福岡県の筑邦銀行が、Windowsで動作するユニシス製の勘定系システム「BankVision」の利用を始めたと発表した。BankVisionの利用開始は、2007年5月の百五銀行、2009年1月の十八銀行に続いて3行目となる。
 筑邦銀行は十八銀行、佐賀銀行と3行で、BankVisionベースの勘定系システムを共同利用する。3行のうち残る佐賀銀行は、この5月の利用開始を予定している。
陣営によってシステム共同化の目的は異なるが、その一つに維持コストの削減があるのは間違いない。そのコストに直結する要素は三つある。「広さ」と「深さ」、それに共同化に参加する地銀の「数」だ。

「広さ」は共同化の対象範囲を指す。勘定系だけを共同化するのか、情報系や対外系まで含めるか。ATMや営業店システムはどうかなどだ。  「深さ」は、データセンターとハードウエア、ソフトウエアのどこまでを共用しているかを意味する。一つのデータセンターに参加行のハードを並べているならデータセンターの共同化。同一のハードを論理分割して各行のアプリケーションを搭載する形態は、データセンターとハードの共同化だ。いずれもアプリケーションは同一仕様のものを各行が別々に動かす。

実際に動かすアプリケーションまで共用すると、ソフトの共同化となる。もちろん各トランザクションは銀行ごとに振り分ける。「マルチバンク方式」と呼ばれる機能で、銀行固有の「銀行コード」を用いて実現する。ソフトまで共同化すると、OSやミドルウエアの購入・維持費用も減らせる。

横浜銀は深さと広さの両方を追求
 地銀の共同化は、陣営によって広さと深さ、数に違いがある(図2)。深さと数で先行するのが「地銀共同センター」。中核に採用するNTTデータの勘定系パッケージ「BeSTA」はマルチバンク方式に対応している。第1号ユーザーである京都銀の勘定系の維持コストは、年間40億円から半減した。情報系などを含めた同行のIT投資総額は70億円強だったので、全体から見ると3割減った計算だ。2番目に利用を始めた千葉興業銀行の栗原隆浩経営企画部IT企画室長も「勘定系の維持コストは、ほぼ半減した」と証言する。


図2●主なシステム共同化陣営における「広さ」と「深さ」

広さが際立つのは、福岡銀行と広島銀行などによる「共同利用型基幹システム」や三菱東京UFJ銀行が主導する「Chance」。昨年1月にChanceの第1号ユーザーとなった常陽銀行は「共同化によるIT投資全体のコスト削減効果は3割程度」(鶴田明システム部長)という。福岡銀もほぼ同程度だ。

 残る要素の「数」は、論理的には多いほどコスト削減効果が大きいはず。ただ、地銀の例では数と効果の関係は見えない。実はシステム共同化は、ITベンダーが主導するタイプと銀行が主導するタイプの二つに分かれる。前者の場合、利用料はITベンダーがあらかじめ採算ラインを計算して決め、参加行数に連動しての増減はない。一方で銀行主導タイプでは、現時点で参加行数に大きな差がない。これが数と効果の関係が見えない理由である。
 数年前から稼働している共同化陣営は、広さか深さのどちらかを優先していた。共同化の難易度が、広さや深さに比例するためだ。これに対して地銀最大手の横浜銀行が北陸銀行、北海道銀行と進める「MEJAR」は、「広さと深さの両方を追求する」(米田誠一取締役執行役員MEJARオフィサー)。2010年1月に稼働を予定するMEJARは後発組なので、共同化による効果の最大化を狙うわけだ。
 具体的には、広さとして、勘定系や情報系、対外系に加えて、融資支援、口座振替などの周辺システム、ATMや営業店端末に搭載するソフトの共同開発まで踏み込む(図3)。ATMや営業店端末といったハードの共同調達にも踏み切る。深さの面では、地銀共同センターで実績のあるBeSTAを勘定系に採用。ソフトまで共同化する。開発工数は「3行の合計で2万人月」(米田取締役)。地銀のシステム共同化では過去最大級である。



図3●横浜銀など3行のシステム共同化「MEJAR」の論理構成

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進む地銀の共同センター化。ネットワークの信頼性と高速化が実現した今当然の流れか。金融機関は装置産業であり、記録を正確に保存すること、伝えること、同質のサービスをどこでも提供することが求められる。そこにITは欠かせない。だが、システムを共同化させたら、他の金融機関との同質化も進む。だから地域が重ならない、顧客が重ならない地銀での連携が進む。だが結局のところ、システム以外の人的な部分で地域性を出し特色を出していくとの思惑かもしれないが、そもそも金融機関に地域性は必要なのだろうか。確かにメガバンクでは、地域の一番企業でも、東京の大企業に比べたらその企業に対する熱意は下がるかもしれないが、実際の支店レベルでは大切な顧客であることは変わらない。小売、専門店は大手に収れんされつつある。そう地方においても、首都圏においても生活様式は日本ではそれほど変わらないのだと思う。さて、これからも地銀は生き残るのだろうか。

2010年1月5日火曜日

「大学の話をしましょうか」Point

「大学の話をしましょうか」
中公新書クラレ
作者:森 博嗣(ひろし)
・元名古屋大学工学部助教授(建築学専攻)
・ミステリーなどの小説家(スカイクロレラ等)
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P20勉強自体が楽しいもの
優勝したら、プロにスカウトされて贅沢な生活ができる、という社会では、皆が必死に練習しました。でも練習しなくても、別にそこそこ豊かな生活ができる世の中になれば、そんなに必死になって練習をする人はいません。でもだからと言ってスポーツは無意味だということではないのです。スポーツはそもそも優勝するためにしているものではなく、やっているとき、その時が楽しければ、それで十分なのではありませんか。勉強も同じです。勉強してエリートになって、高賃金を稼ぐ、という目標よりも、これからは、勉強自体が楽しいことだ、というふうに教えないといけないと思います。

P25ゆとり教育の良い点を見る
学力が低下している代わりに、それこそ「心のゆとり」が増加しているならば、それはひとつの成果ではないでしょうか。点数は取れないけど、人間性が豊かになっている、と考えてはどうなのでしょうか。マスコミが危機感を煽り過ぎです

P28必要とされる能力は自分で考える力
数字と数字と掛け合わせる能力などは昔より必要がなくなっているはずだ。昔は計算が速い、正確であることは学力のひとつでだった。また文字が正確に書ける能力も、昔ほど必要がなくなってきている。今はまだ、語学がわりと学力の重要な位置にあるが、翻訳機が普及すればその能力もやがては重要ではなくなってくるだろうもちろんだからといってこれらの能力が無意味というわけではない。例えば速く走る能力や、長距離を走れる能力は、昔はそれだけで重宝がられ、ある分野の職業には絶対的に有利な条件でした。郵便配達も宅配便も、仕事にバイクや自動車を使い不要になった。よって、足の速さよりも運転免許の方が重宝がられる。いろいろな分野にコンピュータが導入され、人間が行う作業はとても楽になったので、人間に求められる能力は、キチンと気配りができる、次にどんなトラブルが起きるか予想できる、というような機械では思いつけないような、発想、着眼、想像ではないか。

P58 少子化問題は問題ではない?
学力が低下している、あるいは学生にやる気がない、常識に欠けている、マナーがなってない、といったことに対して、「こんなことでは先行きが危ぶまれる」と考えることを僕はしない。例えば、少子化の問題が良く取り上げられています。子どもが少なくなっている。日本の人口はどんどん減りつつある。このままでは日本の将来が危ぶまれる、と眉間にしわを寄せていう人たちがいます。しかし、本当にそうでしょうか?人口が減ってはいけないのでしょうか?地球上の人間は増えすぎました。人口を増やすことが「発展」でないことは明らかです。環境を維持するためにも、将来は人間の数は絶対に減らさなければならないのです。日本の人口が減っても、それで日本が滅びるわけではありません。

P70 人間だけが学ぶ
どんな動物だって、遊ぶし、働くし、寝るし、食べる。しかし人間だけが学ぶのである。人間としての楽しみが、学ぶことにはきっとある。それに気づいていくことは、とても尊いと思う。

P110 大学が縮小するという選択肢
(大学が)どうして生き残りをかけるのでしょうか。じり貧になればよいのです。そもそも研究・教育というのは、採算がとれる事業ではないのです。ただ、将来の社会のために、非常に重要なものです。お金をかける価値はあるでしょう。だから、独立採算で、自分で金を稼げる組織になろう、という姿勢は根本的に間違っていると思います。稼げなくても、理念を貫き、やるべきことを地道にやってほしい。それでもし成り立っていかなくなったら、それはもう消えるしかありません。社会に理解されないときは、消えるのがよいでしょう。でも、きっとそうはさせないという良識が社会にあるはずです。採算が取れなくて立ち行かなくなって潰れましたとなれば、その地域や国が歴史のどこかで責められることになるでしょう。中国の文化大革命のように。町に大学がある、国に大学があるということがその地域その国の豊かさであり、良識であるからです。

P170大学は学問の楽しみを知る場所
大学は基本的に研究を行うところです。そこに、学びに来る学生たちいる。研究する人の身近で、学問とは何なのか、学ぶということはどんな楽しみがあるのか、を知る場所なのです。高校生までの子たちは、学問が楽しいとは絶対に考えてはいません。また、大学を就職するための通過ポイントだと考えている人にも、学問の楽しさは発見できないでしょう。別に全員が発見しなくてもよいと思います。ただそういう機会があったというだけでも、将来の布石となるはずです。

学問をするのは、何のためでもありません。個人個人が楽しむ、ということなのです。極端な話つまりは趣味、レクリエーションだと認識してもよいでしょう。それで直接お金が稼げる、商売ができるというものでもないし、知らなくてもよいことだし、生きていく上でどうしても必要だというものでもないのです。ただ学ぶことは楽しい、それを知ることができるというだけなのです。でも、それこそが、豊かであることだと僕は思います。

たとえば、学問の楽しさをより多くの人が知れば、それは必ず平和につながるでしょう。物理学や数学に打ち込んでいれば、国境や人種、宗教などの争いが、いかに馬鹿げているか、自分たちはそんなことに関わりたくない、と考えるようになるでしょう。
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作家の副業?だからか、少し斜に構えての発言かなーとは思うが、非常に参考になる意見でもあった。昨今の大学は少子化等による競争激化から「就職に有利」とか「資格が取れる」とかそんなんばかりだ。もちろん多様な学校があり、多様な学びがあるのは否定しない。また大学進学率が50%を超え、ユニバーサルアクセスの時代になったことも歓迎すべきことだ。しかし、高校までの知識押しつけ型、詰め込み型教育ではなく、学問を楽しむのが大学の本質だと思う。そこを忘れてしまっている気がしていた。という私も学生時代は学問した記憶はなく、後に学問の楽しさに気づいた一派だが。

2010年1月4日月曜日

偏差値を作る

大学を語る上で、重要な役割を果たす要素として「偏差値」がある。受験生の大半は大学進学について「○○大学で××を勉強したい」という確固たる目標があるわけではなく、漠然と「△△学部に進学したい」などと思っていることが多いため、仮にA大学の△△学部とB大学の△△学部の両方に合格した場合、たいていが偏差値の高い(実力の高い)大学を選んでしまう傾向があることから、その大学の偏差値が今後の命運を左右すると言っても過言ではない。そこで偏差値を上げる必要が出てくる。

このように偏差値は受験生にとっても大学にとっても大きな役割を果たすわけですが、ではどうすれば偏差値を上げることができるのでしょうか。

1.推薦枠を最大限活用する
以下に示した文部科学省による通達によると、各大学は付属高校からの持ち上がりも含めて入学定員の50%までを推薦枠で入学させることができるようになっています。

平成一六年度大学入学者選抜実施要項について-文部科学省
二 大学の推薦入学の募集人員については、私立大学の附属高等学校からの推薦入学に係るものも含め、学部・学科等募集単位ごとの入学定員に占める割合について、五割をめやすにしながらその範囲において各大学が適切に定めるものとする。

よって系列の付属校の拡充や周辺高校との提携などを用いて積極的に推薦枠を埋めることは、一般入試枠を「狭き門」にすることで倍率、偏差値を上げる一助になるだけでなく、青田買いで囲い込んでしまえるため、安定した学生の確保が可能になり、一石二鳥です。首都圏や関西圏などで、さまざまな私大が付属高校だけでなく、付属の小中学校を新設したり周辺高校を系列校として合併しているのも、このようなことを見込んでのことです。

2.入試方式を充実させる以下に示した代々木ゼミナールの「入試難易ランキング表」の注意書きのように、基本的に各大学の偏差値比較に用いられるのは特殊な選抜方式を除いた、メインとなる「3教科型」の入試日程の偏差値となっています。

はじめにお読みください 代々木ゼミナール
また、特殊な選抜方法(B・C方式などやセンター試験利用の選抜)は除いています。

そのためセンター試験利用型入試や2教科型の「○○方式」、英語重視型の「××方式」、数学重視型の「□□方式」…といった多彩な入試方式を導入してそちらに多くの定員を割り振り、偏差値比較の対象となる入試日程の定員を意図的に減らすことも、偏差値を上げるためには有効です。
また、複数回受験を可能にすることで受験生の人気も高まるほか、私立大学にとって大事な収入源である受験料収入の増加も見込めます。

つまり仮に入学定員が1000人である場合、500人を推薦入学させて、残り500人のうち400人を特殊な入試方式で入学させ、残り100人を偏差値の比較対象となる入試方式で選抜すれば、単純に入学者数を減らして「狭き門」を作って偏差値を上げるのとは異なり、学校経営の基盤となる学生数を維持したまま「(見かけ上の)偏差値が高い名門大学」を作ることができるというわけです。

ただしこの場合、同じ大学の学生であるにもかかわらず学生同士に大幅な学力差が生じてしまう可能性があるので、学生の学力低下が問題となった場合、「行き過ぎた入試改革への反省」「学力低下への懸念」などといった理由を付けて、特殊な入試方式を順次廃止していくのもいいかもしれません。

日本の普通の人の能力

1月3日 日経新聞

日本の強みは教育にある。企業も技術伝承や人材育成に手間を惜しまない。傑出した企業家が日本に絶えて久しいが、それは必ずしも人材不足を意味しない。日本の本来の競争力は、”普通の人”の能力の高さにある。

若者が元気な国でなければ、挑戦する意欲や、人が集う魅力は生まれない。

次世代を考えた政策が少なすぎる。いっそ人口の上から2割が高齢者と提示し直せないだろうか。若者が神妙な顔をして、社会保障のために働く国はごめんだ。

世界に「日本人求む」と言わせたい。世界に人材を供給し、世界から人材を集める。新しい人材が生まれ、新しい発想で事業を興す。これから10年、日本にそんな人材循環の足掛かりができれば、人口が縮んでも、未来は縮まない。

新生・あおぞらのシステム合併難航

http://markets.nikkei.co.jp/kokunai/hotnews.aspx?id=AS2C31005%2031122009
新生・あおぞら合併へ難航、システム統合で溝
 2010年10月を予定している新生銀行とあおぞら銀行の合併協議が難航している。銀行業務の要となるシステム統合の進め方を巡っては目標とした09年末に結論が出なかった。新銀行名や両行の特性を生かした新たなビジネスモデルの擦り合わせも遅れ気味。両行で進行中の金融庁検査の成り行き次第では合併時期の先送りなど、計画の修正を迫られる可能性がある。
 両行は09年7月1日に合併計画を発表。合併銀行の初代社長に足利銀行前頭取の池田憲人氏(62)を内定するとともに、八城政基・新生会長兼社長(80)とB・プリンスあおぞら社長(45)を共同委員長とする統合委員会を発足し、合併協議に入っていた。

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<所感>
両行は国有化を経てそれぞれ外資系ファンド(リップルウッド→JCフラワーズ、サーベラス)を筆頭株主として再出発し今日に至る。そしてITシステムのトップは外国人となり、これまでのやり方を180度変えて、外資系銀行に近いシステムの作り方をするようになった。基本的にシステムはトップダウンで決定し、インドやアメリカの技術者を重用した。結果グローバル仕様?のシステムとなっている。いい点もある。ベンダーに依存せず、自前でシステムを運用する力がついていること。この運用コストを外部依存にすると高くつくからだ。しかし、グローバル仕様を進めたが、結局ドメスティックな銀行である両行はドメスティックな顧客を相手にする必要があるのに、システムも含めあらぬ方向に向いてしまった。一方はシステムを目一杯いじり、外国人の実験場と化しているし、またある一方はお金をかけて作ったシステムをトップの外国人変わったら捨ててしまうような無駄を繰り返している。(これ以上は立場上書けない)
だから両行はいわゆる日本の銀行の標準的な銀行システムって形ではないため、システム統合が難航するであろう。よくあるリレー方式でとりあえず両勘定系をつなげて、その後新システムを作る方式って多分難しいと思う。ホスト同士をお話しさせる仕組みを作るのは、困難を極めるんじゃないか。そして運用を自分たちでやっているからこそ、その投資の無駄を切に感じるだろうし。
やっぱりトップ同士が決定するしか方法ないだろう。
個人的には新生の方がいいシステムだとは思ってますが^^

子ども手当と塾

1月1日 日経
「最初の支給(今年6月)後の夏休みが塾生獲得の最初のヤマ場だ」(大手進学塾の市進学院)。子ども手当は中学生まで1人当たり月1万3千円(11年度からは2万6千円を予定)を出す政策。学習塾は教育支出の増加に期待する。首都圏の中高受験向けの大手学習塾は「受講する科目を増やすなど、授業料の単価アップにつながる」とそろばんをはじく。
(中略)
子ども手当の使途の制限はなく何に使うかは消費者次第。第一生命研究所の長浜利広氏の試算では、卸売・小売に1560億円の押し上げ効果があるほか、娯楽・サービスも200億円の需要が創出される。子ども手当は消費市場を底上げし、内需刺激策の一歩となる可能性はある。
(後略)

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<所感>
塾産業は淘汰の時代を迎えていると言われて久しい。大学がユニバーサルアクセスの時代を迎え、受験が容易なったことと、ペーパー試験に依存していた入学試験がAO入試をはじめとする面接、実績重視へ傾斜し、受験テクニックが不要な時代になるとの見解からだ。事実、塾産業は大手による買収や系列化など寡占化が進んでいる。しかし、産業自体が淘汰されているわけではない。

私自身は塾というものに全く興味もなければ、共感も出来ない。受験テクニックを教え込み、競争をあおり、序列をつけ、学校への入学自体を目的とした人間を粗雑乱造している元凶だと少々乱暴だが考えている。確かに先般記載したが都立高校すら進学重点校と称し、受験予備校化する時代ではある。が、その主たる目的が合格させ屋であり、理念も使命感もねじ曲がっているとしか思えない。特に小学、中学受験塾はひどいものだ。その親もひどい。エゴの塊としか思えない。

「長寿」を誇れる国に

日経1月1日

平均寿命が延びる日本。2つの見方ができる。世界がうらやむ長生き社会か、社会保険負担にあえぐ高齢社会か。表か裏か、明か暗か。答えは明らか―。長生きはいいことだ。

10年後。65歳以上人口は今の23%から29%に上がる。追いかけるように韓国やシンガポールも20%に迫る。中国・上海も3割が高齢者になる。世界最大の経済圏に育つ東アジアは巨大な「高齢者社会圏」となる。日本を見る目は真剣だ。

東京・築地の国立がんセンター中央病院。正月明けからアジアの患者が相次ぐ。がんが小さく、直せるうちに探す検診技術は長寿ニッポンの「最先端」。

2010年「長寿」を誇れる国にするのが理想だ。企業は新たな人材活用モデルを競い、国は先駆けて安心を立て直す。 先行きの医療や介護に身構え、日本人が死ぬまで使い切らない貯蓄は150兆円。
これは安心が見えれば動き出す巨額の潜在内需でもある。働く人が増えれば、社会保障の負担も和らぐ。